早 稲 田 式 の 歴 史

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区切り線

 このコーナーを設けるに当たり何冊かの本に目を走らせましたが、本によって食い違いがありますし、また私の方で誤解している部分もあるかと思います。その点、あらかじめご了承ください。

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1.初期の早稲田式
2.現在の早稲田式
3.早稲田式誕生における特徴
4.早稲田式の構成法
5.速記文字の特徴
6.早稲田式の普及
7.早稲田式の五大綱領
8.早稲田式からの分派

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1.初期の早稲田式
 早稲田式の考案者は川口渉(かわぐち・わたる)と言われていますが、現在の早稲田式を形成するまでにもう1人の人がかかわっています。
 その名は大嶋茸次(おおしま・たけじ、後に畑中と改姓)という人で、早稲田大学附属第二高等学院2年時より中根式・毛利式・田鎖式を学び、昭和3年(1928年)4月、「単画記音式早稲田速記法」を考案しています。このときの速記文字は、その名のとおり、線の末尾などに円や角などがない単画という単純な線でした。
 そして、昭和5年(1930年)、早稲田大学の1年生であった畑中茸次が学内で速記研究会を発足させて会員を募集し、この単画記音式早稲田速記法を指導していくとともに、みんなで研究していきます。

単画記音式早稲田速記法 現在の早稲田式
単画記音式早稲田速記法 現在の早稲田式
【単画記音式早稲田速記法における注意点】
・「ニ」「ミ」「ユ」「リ」「ル」「ワ」は、濃い線となっている。
・「エ」と「テ」は、同じ線?になっている。
・「ト」は、「オ」よりわずかに短い線となっている。
・「ケ」は、左下から右上の線となっている。

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2.現在の早稲田式
 畑中茸次が発足させた早稲田大学の速記研究会のメンバーには、1学年下に、荒浪式を学習していた川口渉も入っていました。そして、一番熱心だった川口渉が次第に頭角をあらわし、講師格になっていきます。なお、講師になる速度基準は3600字だったそうです。
 その後、川口渉らは、その当時、実務についていた人には単画の中根式や国字式がほとんどおらず、複画の熊崎式・衆議院式・参議院式だったこと、また単画では読めない文字が出てきたり、読めても実際に使ってみるミスをたくさん出すことから、いろんな方式を研究して改良していきます。
 そして、昭和5年(1930年)3月、線の末尾に円や角などがつく、いわゆる複画の熊崎式をベースに、丹羽式・毛利式等の長所をとって、単画と複画をミックスした折衷型の方式を発表しました。これが現在の早稲田式です。
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3.早稲田式誕生における特徴
 以上のような経過からおわかりのように、早稲田式はその生み出す過程において
1.1人の研究者が考案したものではなく、複数人の研究により考案された
2.頭の中だけで考案したのではなく、実践を通して考案された
3.全くの一から考案したものではなく、従来の諸々の速記方式の短所を捨て長所を取って考案された
という特徴を持っています。
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4.早稲田式の構成法
 早稲田式は、熊崎式の「ア列を倍にしてオ列、ア列に小さな円をつけてイ列、イ列を倍にしてエ列」という構成原則を採用しましたが、ウ列についてはア列に大きな円をつける形をとりました。
 速記文字を続けて書いてみると、力の入れ方や抜き方、次の線との結び方などの運筆法によって、非常にきれいな、流れる、まさに芸術とも言える線となっているのがわかると思います。
 なお、この基本文字は、1・2・4の比率の3つの正円と直線から割り出されています。これを「割出図」と言います。
 また、この基本文字を集めてみると、次のようにきれいな花びら型になります。

割出図(円) 割出図(花びら)
割出図(円) 割出図(花びら)
 例えば、1→2は「ア」、3→4は「ナ」、5→6は「ノ」、イ→ロは「カ」、イ→ハは「コ」、A→Bは「サ」、C→Dは「ソ」というふうになっています。
 本来は、円と直線の各交差点に、小さな円には「イロハニホヘトチ」、真ん中の円には「いろはにほへとち」、大きな円には「伊波仁保辺登知里奴」という印が入っています。
 この割出図の中には二音文字・拗音・半濁音も入っており、1の部分からは小さい線の順番に「ヤイ」「ヤ」「ヨ」、2の部分からは「ソイ」「サ」「ソ」という速記文字が割り出されています。
 なお、中心から下への垂直方向の部分における小さい線と一番大きい線、また中心より左下方向の部分における小さい線については、該当する基本文字がありません。

 なお、省略体系においては中根式・丹羽式・荒浪式・毛利式・佃式等の書き方が取り入れられています。
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5.速記文字の特徴
 早稲田式の速記文字の特徴としては
1.単画と複画を取り入れた折衷型で構成されている
2.線の長さが3種類である
3.ア行とツ・ユ以外、列別に原則がある
4.よく出てくるサ行とタ行(ツを除く)に、逆方向に書く変規文字も設けている
ということが言えます。
 なお、昔、ツの変規文字はありましたが、昭和35年(1960年)8月改訂の「早稲田速記講座」でなくなったようです。
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6.早稲田式の普及
 早稲田式は、早稲田大学の速記研究会を通じて普及されていきます。
 昭和10年(1935年)5月、川口渉が早稲田式速記普及会を設置し、同年7月から昭和12年(1937年)2月までの間に「早稲田式速記講義録」1〜5巻を発行しました。
 そして昭和10年(1935年)7月、当時、独習不可能と言われていた速記に初めて通信教育を取り入れ、全国的規模で共練会を結成させたりスクーリングを行うなどして、早稲田式の学習者をどんどんふやしていくとともに速記者も輩出していきます。
 また川口渉は、昭和10年(1935年)5月、実地教授部を設置しています。この実地教授部というのが、現在の「学校法人川口学園 早稲田速記医療福祉専門学校」の前身です。
 さらに、昭和11年(1936年)9月、必要に応じて発行していた「速記ニュース」を機関紙「早稲田速記新聞」と改題して定期刊行物を開始しました。
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7.早稲田式の五大綱領
 早稲田式速記の創始者である川口渉は、「早稲田式は大衆の速記文字であるべきだ」などとして、以下の「五大綱領」を発表しています。これは、昭和26年(1951年)1月の「早稲田速記新聞」に掲載されました。

1.他式はいざ知らず、早稲田式は大衆の速記文字として発足すべきである。
 一部専門家の独占的速記符号でなく、誰にでも憶え易く書き易く読み易いことをモットーとし、しかも正確を旨とする速記文字でなければならぬ。

2.早稲田式は科学的な根拠に立脚して、理路井然たる理論によって組織付けられ、系統付けられた文字でなければならぬ。
 即ち統計学的に、言語学的に、音声学的に、また数理学的に、心理学的に、美学的に、その他あらゆる方面より検討し、決定された文字でなければならぬ。

3.早稲田式速記文字は、美術的要素と深さを持ったところの一種の芸術的速記文字であることが理想である。
 ただ書いた文字が正確に読み返し出来るというだけでなく、速記文字を通じて、絵画や書道のような美術的心境を体得し、その洗練された文字全体によって優雅な美しさを味わい得る文字でなければならぬ。

4.しかも、速記文字である以上、その最大使命とする発音の即座的文字化の出来る超高速度の文字でなければならぬ。
 速度は以上の三綱領に則り不断の研究を続け、法則を遵守し、たえざる修練を積むことによって必然的に上昇し得るものである。

5.早稲田式速記文字の奥義を究めるためには、心身の鍛練と豊富なる国語及び国字の知識が必要である。
 早稲田式は一種の科学的な根拠に立脚した文字であり、反面技術的な要素を持った文字であるが、単なる技術でなく、いわゆる芸術的要素を持った速記文字なるが故に、これが完成を期するためには、完全なる人間的修練と、円満なる人格をそなえなければならぬ。更にこれを言い換えるならば、速記道を修練することによって心身の鍛練をなし、美的情操を養うと共に芸術味を解し、完全なる人間、円満なる人格を造ってゆくことでなければならぬ。けだし、人格なき速記者は、魂の抜けた人形と同様に飾り物にはなるかも知れないが、真の人間として使いものにならないからである。

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8.早稲田式からの分派
 広く国民に普及されてきた早稲田式ではありますが、早稲田速記普及会で通信指導されていた佐竹康平(さたけ・やすへい)が、早稲田式の速記体系の欠点を補うとともに高速度用文字を研究していきます。しかし、これが川口渉の考え方と合わず、昭和29年(1954年)12月に「早稲田系無名式」となり、そして昭和31年(1956年)1月には「佐竹式」として独立しました。しかし、昭和37年(1962年)7月に入って早稲田式と佐竹式が合同し、現在に至っています。
 なお、佐竹式といっても、早稲田式の省略体系に改良を加えただけで、基本文字には手を加えていません。
 また、昭和29年(1954年)4月には吉崎謙太郎(よしざき・けんたろう)が日本速記研究所を設置し、「日速研式」を発表しました。この日速研式は、早稲田式の基本文字をも改良しています。

日速研式 早稲田式
日速研式 早稲田式
【日速研式における早稲田式との相違点】
・ウ列(「ウ」「ツ」を除く)は、早稲田式のオ列となっている。
・オ列(「オ」を除く)は、概ね早稲田式のウ列となっている。
 *「ノ」「モ」「ヨ」は円を閉じず、「コ」「ト」「ホ」は例外

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